53 いつもより長めの「食の贅沢」

毎年の様に長野に遊びに行っていますが、
何がこんなにもひきつけるものがあるのでしょう。
感じたことを、ふと書きたくなりました。

私たちの泊まる宿は、村営のゲストハウスです。
経営母体が役所なので近隣の民間宿舎や国民休暇村等の
関係がありますから、あまり宣伝もできないようなことを聞きました。

電話で問い合わせると、そちらの方を斡旋されます。
どうしても泊まりたい人にだけ教えるのだそうです。
お正月は基本的に休業なのですが、管理人さんのご厚意により
泊まらせてもらっています。この様な場合にも世間で言う
「正月料金」等の設定はありません。

ただ、あるのは普通の暖房費で一人いくらと課金されるだけです。
食事等も休日返上で泊まっているので、すべて持ち込みによる
自炊になります。
もちろん調理施設や食器等はすべて揃っています。

お正月は通い続けて10年くらいになります。
その間に5月や8月の連休を利用して何回か伺ったことがありますが、
この様な時期は、食事を作ってもらえます。
管理人さんが村々を回って食事作りをお手伝いして
いただける方を送り迎えします。
来てくれたのは山菜料理の達人「お母さん」ばかりです。
彼女たちは普段の生活の中からおいしいと思うものを提供するだけ、
何もないが「山の幸」だけはふんだんにあると言われます。

山の食べ物を提供していただけることは
「自然を感じる贅沢」だと思います。
季節の織りなす名も知らぬ食材を「料理」にまで仕上げる。
山の息吹料理は感銘と感謝によっておいしさが増します。

すべての食材はまず収穫から始めなくてはいけません。
山のどのあたりにその様な山菜があるのかは地元民だから
わかることで、もちろん時期も熟知していなければ収穫もありません。

管理人さんが家々を回り迎えに伺うと、途中で車を止めてでも
今晩の食卓にする山菜を収穫しながら通ってきます。

山菜料理の大変さは、下ごしらえにあります。
アクがあるものは多少のアクを残しながらでもアク抜きをしたり、
可食部分を取り出すために形を整えたりと、
もちろん天然物ですから形が揃っているわけではありませんから、
皆さんに公平に食べていただこうと努力をします。
出される料理についてはお肉や魚等は一切出しません。

理由は簡単です。お肉や魚は買わなければいけませんが、
山菜は山から与えられた恵みなのです。

揚げたり、煮付けたり、和えたりと色々な調理方法で
食べさせてもらえます。
私たちが食事をするときは、一段落されているので、
何という名前の山菜でどの様に生えているのかとか、
調理をどの様にするのかを要望すれば詳しく教えてもらえます。

収穫から調理にいたるまですべてをこなしているので、
この様な質問にも丁寧に答えられるのだと思います。

言われてみればどこどこ産の何を使っている等の食材は
ありませんが、感謝しながら食べられると思うのは、
自分たちではまねのできない事をしていると思うからです。
食材を目の前に出されても、名前もわからないし、
調理もできなければお手上げです。

お肉や魚を使用すれば、結構簡単に料理っぽく見えるし、
味もよくなります。あえて結果の問題ですが調理する人の
気持ちを考えると感動すら覚えます。


「食の贅沢」とはなんでしょうか?考えさせられる食事でした。


宿には「想い出ノート」という自由に書き込みができるノートが
おいてあります。
泊まった方々が感想などを書いていますが、
皆さんの感想には「何もないところだけれど、また、伺いたいです」と
多く記されています。

やっぱり一番の理由は食事にあるみたいです。
中にはある方を名指しで、山菜についてや調理方法の談義に
花が咲いたことや自分たちが忘れていた感情を
思い出させてくれた事柄を書き記しています。

あの様な環境に出会うとなぜか皆さん考えることは同じのようで、
募集をしなくてもすべてが口コミで広がっていっています。
予約の場合でも誰々の紹介ですと名乗られる方ばかりです。
隠れ宿や自分だけの密かに楽しめる宿には変わりありません。
そのくせ、自慢したり、ついつい紹介したりしてみたくもなります。
そんな気持ちにさせる料理と宿はめったにありません。











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